だぁ〜、こんちくしょう、またやっちまったZE!!
やはり私はリアルの世界には向いていないようだ。
そう、魚は水に、鳥は空に。
冬月琴葉はネット上か虚構の世界に。
そうだ、魚や鳥は好きで泳いだり飛んだりしている訳ではない。
そうしないと生きていけないからだ!!
鳥から羽をもいでみろ、あの足では自然界で到底生き残れるはずもない。
冬月琴葉も同じ、好きで引きこもっているわけではないのだ!!! いや、ちゃんと1日1度は外に顔出してますよ
コレは決して現実逃避などではない、それが本来住むべき世界であるからである。
と、言うわけで私はもう外には出ません!
以上。
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なんて都合が通る訳ないでしょ。。。
そう、鳥なんかはなかなか良い例えかも知れないな。
鳥は空にいると言っても常に空を飛び回れるわけではない。
必ず羽を休めるために地上に降りる必要がある。
また、食料だって地上に降りなければ十分とは言えない。
したがって鳥は空で生きるためには同時に地上で生きる必要があるのだ。
冬月琴葉にも同じことが言えよう。
ネットや虚構の世界で生きるためには同時にリアルで生きることが必要条件であると。 電人HALじゃあるまいし
あ〜ぁ、我ながら嫌な結論に至ったもんだぜ全く。。。
まぁ、案外中には例外もありそうなもんだが。。。
また、最近読んだ本の一文から暇つぶしにしょうもないことについて色々考えたりしてみた。
なんかこういうものは自分で考えても非常にばかばかしいものであり、他人から見れば異常であると思われるの可能性もあるのだが。
なんとなくこっそりと公表してみたくなった。
万が一興味が沸いてしまったという人はなるべく寛容な心で見ていただきたい。
※注
この先は冬月琴葉が暇つぶしに練り上げた構想になっていますが。
冬月琴葉の脳内にあるデータや、勝手な解釈やら思い込み、不十分な表現力、文章力等で非常にカオスな記号の羅列になっており、また、少々乱暴な表現も含まれています。
読むだけで吐き気や眩暈などの症状が出る恐れがありますのでご注意ください。
また身体に異常を感じたら直ちに他のページに飛ぶかウィンドウを閉じ、休憩を取ってください。
甲田学人の小説はオカルトや民俗学が多く盛り込まれており、こういったものに興味のある方にはオススメしたい。
今回読んだのはMissingの第4巻。
ここで作中に「・・・・・・あらゆる言葉が、魔術師にとっては”力ある言葉”だ。」
という台詞が出ていたのですが。
しかしここで、魔術師には言葉に力を込める能力があったとしても、一般人が使う言葉と魔術師が使う言葉それ自体は同じものであり。
そして、この作品の中に登場する魔術師と言うのは、せいぜい催眠術みたいなものばかりで特に空を飛んだりなどそれ程非常識な事はしなかった。
古来より言葉には言霊が宿っており、その力が働いて言葉通りの事が起こると信じられていたが。
あまり常識外れな事は起こらないとしても、それが人間に対する物であればそれは案外実現出来得るかもしれない。
例えば催眠術などがそうであろう。
催眠術をもって納豆はアイスクリームの味がすると言えば、術にかけられた人は納豆を食べて本当にアイスクリームの味がするという。
こういったものを魔術と呼ぶならば案外、我々にもそれと似たような事が可能なのではないだろうか。 いや言ってることおかしいから、それただの催眠術だから
まぁ、とりあえずまずはそれが可能と仮定して、考えてみて実現ができそうな物をいくつか出してみよう。 現実と小説などの世界の間にはしっかりと区切りを付けましょう
私が考えるにそれは
操作
異形化 なんじゃそりゃ(汗
の2つに分けられるだろうか。
まずは「操作」から。
これは相手に言葉や文章などから相手の意思や考えを操る物である。
前述にもある催眠術もこれに属するだろう。
また、命令や何かに注意を向けさせる言葉、励ましの言葉、宣伝、サブリミナル効果、自己暗示等もこれにあたると思われる。
親が小さい子供に向かって馬鹿といえばその子供は本当に馬鹿になるというものが例に挙げられる。
恐らく呪いと呼ばれるものもそうなのだろう。
呪いも科学では、相手に自分は誰かに恨まれているという不安感を与え、それが自己暗示となって害をなすというものだ。
次に「異形化」だが。
もっとマシなネーミングがあるような気もしないでもないが、これは要するに罵詈雑言、虐め等がそうではないだろうか。
高校で聞いたところによると、人は虐めを受けると脳の生存本能を司る部分(脳幹 ヘビの脳とも呼ばれる)の働きが弱くなるらしい。 oh〜脳〜w
そうなると世の中に絶望、自己嫌悪、自暴自棄になったりする訳だが、それがあまりにも進行するとその人はその後、何をしでかすか分からなくなる。
また、自己嫌悪と言うのは少々厄介な気がする。
何故ならそれは周囲からの影響がなくなっても自動的に自分に(負)の「操作」をかけ続ける状態になっているからである。
また、これがひどいと周囲からの励ましなどもただの嫌味や偽りと思い込み逆効果となる可能性がある。
と、言ってもそれを恐れて何もしないよりはマシであると考えるが。
また、人間、特に日本人には周りに合わせる習性がある。
例えば長さの違う二つの棒があってどちらが長いかと聞かれたとき、明らかに答えが分かっていても、もし周囲が先にそれと違う答えを出せば回答を周囲に合わせるというのが実際に実験で確かめられている。
したがって数で攻めれば何とかなる可能性があるのではないかと予想される。
話は戻ってヘビの脳が弱くなった人間は何をしでかすか。
痛みを消すために自分に感情を消し去る「操作」をかけるかも知れない。 こうなった人を知っている
消滅するかも知れない。
キリングマシーンとなって暴走するかも知れない。
と言うようなものだろうか。
このようなものを魔術と呼ぶならば、私が普段から使っている魔術は主に自己暗示で自己の正当化や、多少ダメージを受けても「まぁ、いいか。」で簡単に片付けることなどだろうか。
途中かなり主旨からそれていたような気もするが。
これらのように言葉や文章、その他さまざまな物事に力があるのではないかと思う。
以上、冬月琴葉の、不十分な情報、考察、文章力による現代の魔術に関する構想のまとめ。




